ヘルパーつらいしきついけど嫌いじゃない

在宅の知的障害者の日々のヘルパーとして思うこと。

2013年12月号

自分で考えてしまう問題

〜今Tクラブでは空前の「介助ってつらいんじゃないか」ブームなので、ちょっとそれについてもう少し考えてみようかと、したんですがその前に。

●自分で考えてしまう問題

 先日飲み会の席で「たとえ近くに相談出来る人がいたとしても自分で考えこんでしまうタイプの人というのは一定数いてそれが何故なのか知りたい」というようなことを言われたので自分で考えこんでしまうタイプの一人として考えてみました。

 弱みを見せたくないプライドとか、有言不実行は嫌とか、もあるんだけど、多分一番強いのは「こんなことで人様の時間を奪ってはいけない」という意識。「相談」が苦手だ。私だってもやもやしている気持ちを人に話したくないわけではないし、むしろめっちゃ話したいと思う時もあるけれど「いやいや待て、こんなこと人に話してもしょうがないじゃないか」と考えて自制して結果誰にも話さずに一人で考えてしまう。そもそもこれってなんなのかなぁと考えてみたら、私にとって「個人的なことは個人的なこと」でしかないから、なんだなぁ。

 ちょうどその飲み会の場でフェミニズムの「個人的なことは政治的である」についての議論が交わされていたのですが、私は昔からそれがピンと来ない。そんな風にはなかなか考えられない。私の悩みは私の問題だから他人に話しても意味ない、私が解決しなきゃ、と思ってしまう。というのが理由の1つ。

 もう一つは介助関係の話を他人にしづらいということに限定しての話になりますが、介助の悩みはかなり自分の人格に関わってくるところのような気がして人には言いにくい。料理を気に入ってもらえないとか、家事が終わらないとか、そういうのはその人に付随する能力の部分の問題なので割と話せると思うのです、努力すればどうにかなりそうだし。が、利用者にキレて叩きそうだったとか、つらくあたってしまった、とかは、そう簡単には話せない。こういうのは個人の能力の問題ではなく、人格の問題だから、もうどうしようもないんじゃないかと思ってしまう。そしてこれを自分から話すというのも「私この程度のことでキレるんです」と言ってるようなもので、自分を良く見せたい私は言いたくない。

 という感じで話せないのですねぇ~。っていうのが自分で考えてしまう問題の答え!

 〜

 

やっぱり自分で考えるよね。

けど私は以前に比べると同業者に対してオープンになっているのではなかろうか。話しやすい人が多いからかな?

こういう人格が否定されるんじゃないかという話はやっぱなかなか権利を勝ち取るために頑張ってきた人たちには言えないよなぁ。