ヘルパーつらいしきついけど嫌いじゃない

在宅の知的障害者の日々のヘルパーとして思うこと。

2012年5月号

読み返してみてびっくりしたけど、働き初めて2ヶ月ですでにこんな感じでした。

ヘルパー

の仕事をやるようになりました。その中で「その人の時間じゃなくて暮らしを支える」意識がどうのこうの、とよく言われるけれど、不定期で月12回入るぐらいじゃ私はとてもそんな気分になれない。

 とりあえず「この時間をやり過ごそう」と思う。

 多少、あぁこの人もっとこういうこと実現出来るようになれば良いのになぁと思っても、誰に何を言えばそれが実現に向かうのかが分からない。ていうかこんな数回しか入ってない自分が言ったところで、と思ってしまう。コーディネーター?的な人他所の事業所だしなぁ、そこまで伝わるか分かんないやぁ、みたいな。

 多分そんなことを思いながら、特にそのモヤモヤを話す人もいなくて仕事として業務をこなすうちに「時間をやり過ごす」って気持ちが強化されていっちゃうんだろうなぁと感じる、最近。

 そんなぁ「暮らしを支える」なんて言われても、と思ってしまうわけだ。

 

 先日、4人の当事者と3人のガイヘルでディズニーシーに行ったことがあった。ほぼ全員で行動していたので、ガイヘルが終わってからの帰り道、その日の印象的な出来事を3人で話すことが出来た。

 

 まぁなんて気持ちが楽になること\^o^

 

 「正直あれイラっとしちゃった、てへ」とか「やー、不思議な行動だったよね」とか、本当にたわいもない話だったと思うのだが、そういうの同じ目線で話せるだけでなんか楽になる。多分、そのまま話すことなく一人で帰ってたら私は「疲れた・・・」と鬱々とした気分になっていたのだろうけど、その場で話せたから「疲れたけど、あぁいうとこ面白かったな」とか「発見だったな」というプラスの記憶になったのだと思う。

 そういうのって大事だ。

118時間だとか一晩だとか過ごして、その間に何も思わないわけがないのに。

 そのときの思いを口に出す機会のないまま保留にしておくといろんな感覚が麻痺していく感じがする。

 まぁそんなにちょくちょく他所の事業所の人と会うのは難しいのかもしれないけど、なんかどっかでそんなたわいない話を出来れば良いのになと思うのだけど・・・難しいんですかねぇ(´・ω・`)

  補足をすると、私はTクラブをメインで働きつつ、だけどそれだけじゃ給料足りないから、他の事業所でヘルパー業をするという感じだったのです。他の事業所も3つぐらい掛け持ちしてました。1つの事業所はコーディネーターとほぼ会うこともなく、ヘルパーさんとも話す機会少なかったので、モヤモヤは溜まっていく一方で、「もういいや、とりあえずこの時間をやり過ごそう」って感覚はなくならなかったな。今でも、たとえコーディネーターとかにまぁまぁ会う機会があったとしても、その人の暮らしについて絶対的な決定権というか、経験を持ってる人に対して、何か意見するのって難しいなと思う。当事者が何かを本当に望んでいるんだ、って分かるわけじゃないし。

 だから、「なんかこういうこと出来たら良くないですかー?」って軽ーく軽ーく会話できる人がいるのが一番良い、それをヘルパー会議なんかで話しているうちにやってみようか、って実現の方向に向かったらもっと良い、と思う今日この頃。だから、あんまり偉い人っていない方が良い気がするよ。

 当事者への不満とかについてもそう。ちょっとしたことでも軽く口に出して、笑い話にできたら、本当に疲れ方が全然違う気がするのよ。