ヘルパーつらいしきついけど嫌いじゃない

在宅の知的障害者の日々のヘルパーとして思うこと。

2012年4月号

働き始めて最初の通信です。初めて、女性のトイレの失敗に遭遇した時のこと。

 

 たまり場のような場所で複数の人と話していると1人の女性当事者が トイレに。帰ってくると明らかに股の部分が濡れている。あまりにも普通にまた椅子に座ったので、 私は「え、あれ?あれ?ぬ、濡れてるよね、見間違いじゃないよね」と状況を把握するのに数秒、「ど、 どうしよう」に数十秒。そこには他に女性介助者がいなくて相談出来ない。私がとりあえずとった行動は近くにあったタオルを当事者の膝上にかけて濡れた部分を隠したこと。なんていうか、私が見ていられなかったのだ、濡れたズボンを。

 周りには男性もいて、そんな中で「濡れてますよ、ズボン履き替えますか?」なんて会話出来ない。とにかく人の目に触れさせないようにしなければ、と思った。とりあえず隠して、私はそれについて触れられないまま数十分たって、二人でこそこそ話できる 状況になって初めてズボンについて尋ねた。

 「トイレの中で濡れちゃった感じですか」「そうだねー」  「濡れてるの気持ち悪くないですか?パンツとズボン替えませんか?」「や、大丈夫」 というような会話を繰り返し、その間にズボンも少しずつ乾いて、私は「まぁそれぐらいだったら目 立たないし良いかな」と思って説得することを諦めて、彼女はその濡れたズボンのまま帰って行った。  

 結局私が一番考えていたことは、「ズボンを濡らしたまま外を歩いて電車に乗るなんて、私だったら恥ずかしくて死んでしまう、彼女をそんな恥ずかしい状況に追いやりたくない」ということ。ものすごく戸惑った。濡れたズボンにだけではなく、というかそれ以上に、濡れたズボンを見ていられなくて隠した自分に。人の濡れたズボンを見て勝手に恥ずかしがって隠してしまった自分はなんなのだろうと。

 トイレの失敗が「悪いこと」だとは思わなかった。だけど、私にとって「恥ずかしいこと」には変わりなかった。女の子にこんなところをさらさせるわけにはいかない、という私の価値観を押し付け たような思いやりと、ただ単にその状況から目をそむけたかった自分が確実に存在していた。彼女のためなのか、自分のためなのか、はたまた周りの人のためなのか、誰のことを想って濡れたズボンを隠したのか、分からない。

 まぁこんなことを実況中継のように書いて何が言いたかったんだという感じですが。だけど、これから仕事やってったらこういうことも「普通」になってしまって「あーはいはいトイレ 失敗したのね」ってサラッと受け止めてしまうようになるだろうから、この最初の戸惑いを書いておきたかったのです。

 

読み返してみて、もうさすがにこの初々しさは、ない笑 だから、これは載せなくていいかなぁとも思ったけど、けどやっぱり忘れたくない気持ちなので載っける、かなり恥ずかしいけど。

今思うと、まだまだ何にも慣れてないっていうのに近くに女性介助者が一人もいなくて一人で困るっていう状況が、その後のつらさに繋がっていきますな。