ヘルパーつらいしきついけど嫌いじゃない

在宅の知的障害者の日々のヘルパーとして思うこと。

2014年2月号

介助は「つらい」だけでなく、「つまらない」仕事なのではないかという話。 

今度の自立生活支援を考える会でもつらさの話をするらしいので、つらいつらい言うのも飽きたけど「つらい」の話を。

 私のつらさの要素として

  ①労働環境の問題(過重労働、不規則な生活、低賃金 など)

  ②介助という仕事自体の特性(コミュニケーションの難、終わりの無さ先の見えなさ、過剰な1対1感 など)

 がありました。①からくる肉体的精神的な疲れから、②のつらい部分がより強調されてく、という感じだったので、とりあえず①の解決を試みて休み増やせと文句を言った結果、労働時間が減りました。みなさまありがとうございますm(__)m

 そんなわけで時間的にゆとりができて、精神的にも余裕ができました。

 すると、「あーもうつらい無理」という感情はだいぶ和らぎました。そりゃあ寝不足の時よりもちゃんと休んでいるときの方が誰だって穏やかな気持ちで仕事出来るよ、という単純な話ではあるのですが。休みは大事だ。

余裕ができて、何が一番直接的に「つらい」という気持ちにさせていたのか考えてみると、当事者にムカつく→ムカついて意地悪をする→こんなことで意地悪するなんて最低だ→こんな自分嫌いだ、という強烈な自己否定だったのかなと思います。で、結果こんなに自分が嫌いになるんだったら辞めた方がいいという感じ。

 時間的精神的ゆとりによって、この最初の「当事者にムカつく」の部分がだいぶ緩和される。 私にとってムカつくと面白いは紙一重で、なんというか、さじ加減次第なんだと思います。当事者と関わる中でたくさん出てくるコミュニケーションの「難」が、「ムカつく」にもなるし「面白さ」にもなる。一般社会から見るとツッコミどころ満載の当事者との付き合いは害にならなければ楽しいし、害になると、いやならなくてもムカつくものはムカつく。 

  というわけで、労働環境を改善したことでここら辺のさじ加減がけっこうおおらかになって、結果、自己否定的なつらさはゼロにはならないまでも以前と比べると解消されたのだと思います。

 で、自己否定のつらさが減って、面白みが増えたかというとそういうわけでもなくて(心穏やかになってそういう面もあるけれども)、何が残ったかというと、無力感、枠を埋めてる感、終わりの無さ先の見えなさ、当事者の変わらない日常...

 なんか、つまらない。

「つらい」の次は「つまんない」かよ、それもう私の人格の問題じゃんという気もするのですが、ヘルパーの離職率が高いということはきっとみんなつらいしつまんないんだよ!と思う、ことにする!

 ということで「つまらない」を考えてみる。

 ①当事者の日常はまあ変わらない(おでかけ、部屋で過ごす、作業所)

 ②介助者の仕事もまあ変わらない(おでかけ、家事、見守り)

 ③やったことが積み上がっていく感じがしない

 ④働いていて成長を感じられない

 ⑤そんな仕事自体のやりがいなんてうやむやに出来る職場の雰囲気、楽しい同僚的要素が皆無

①②については仕方ないというか。私が介助に入っている人は30代ぐらいの人が多いので、激動の思春期の中にいるわけでもなく、まぁ似た様な毎日が続くのは致し方ないというか。きっと健常者もそんなもんだし。で、当事者の毎日がそう変わらないということは、介助者の仕事もそう変わらなくて。もちろん外出先が特別だったり、当事者の様子次第で心の持ちよう接し方は変わってくるけど、仕事内容自体にそう大きな変化はない。

 そして③④。何よりもこれが問題だと思うのだけど、2年と少し、学生の時やっていたバイトも含めればこういう仕事を3年近くやっているわけなのだけれども、まぁ成長感の無いこと。実感出来るのは、多少家事スキルが身に付いたことと、いろんな人がいるんだなぁ、と若干心が広くなったんじゃないかということ、ぐらい。なーんか、何にも積み重なっている感じがしないのです。

 この、やりきりました、成長しました感の無さったら何なんだろうと考えてみると、おそらく 「出来る」ようになることを目指すのではない、というもろもろの障害者運動の根底みたいなものに起因する、気がする。

 この「出来る」ようになることを第一としない考えを否定するわけでも、まして当事者に対してこれこれが出来るように教えたいんですというわけでは決してないのですが。そして、実際には当事者は時間の中で何かが「出来る」ようになっていて、介助者はそれを発見するという面白みもあるとは思うのですが。

 だけど、私は明確に何かが出来るようなりたいんだよー。目標に向かって頑張りたいし、目に見える結果が欲しいし、その頑張ったことを誰かに認めてほしい。

 という欲求が満たされないんだよなぁ。決められたシフト通りに訪問して、担当の時間が無事に終われば良いだけで。当事者を指導するわけでもないし。ただそばで付き合って、自然とできるようになってるとこを見て、おぉ~と思うことぐらいしかないのさ。

出来るようになることを目指すのが貧しい考えだと言われようが、私はそういう価値観で生きていきたいのだよー。今まで私はそれが楽しかったし、何か積み重ねて目に見える結果が出るのがうれしかったのだし。この積み上がらなさ、成長感の得られなさ、つまらないんだなぁ。

 そして5。そんな私でも、仕事はやりがいが全て、ステップアップしていきたいです(*’▽’)キラキラ とか言いたいわけではなく。いわゆる単純作業の仕事でも、周りの人との関係で楽しかったりするんだろうなと思うのです、が。

 ヘルパーの仕事は基本的には一人で。現場に直行直帰で。その1日がどんなにつらくてもどんなに達成感があっても、それを共有してお酒を飲めない。交代の時に軽く話して、あとは一人で帰るだけ。一つの事業所でがっつり働いているならまだしも、複数で働いていると、登録している事業所の人でも滅多に会えないし、多くて週1回程度。しっかり仕事を見て教えてくれる先輩がついてくれるわけでもなければ、一緒に悩める同世代の人がいるわけでもなくて、後輩もいない。うわ、書いててめっちゃ悲しくなってきたじゃん!非常に孤独な状態に追いやられてる人は多いと思うのです、いくらヘルパー会議があったって、月1回しか会わないような人に本音なんて言わないし言えないよ。

 

 そんなわけで最近つまらないなぁと思う。あ、誤解されそうなので言っておくと毎回の仕事がいちいちつまらないということはなく、その時間自体は楽しかったりします。だけど長い目で考えると楽しくないし面白くないしなんのビジョンも持てないなぁと。

 うっかり長文を書いてしまいました。3ページ長いな...

 

 

最近は、中学生の介助に入っていて、これはとても楽しい。というのは、やっぱり成長期の成長はすごいというか、目に見える。目に見えてできることが増えたり、1年前より確実に大人になってるなぁ、とか、お話してくれることが増えたなぁとか、実感できてとても嬉しい。それにかわいい。

この「かわいい」って感覚も大切な気がする。私は年上の当事者に対して「かわいい」という感覚を持ったことは一度もないけど、もっと年上のヘルパーさんが「かわいいと思うわよ」と話していたのを聞いて、なんかそう思う心って大切なんじゃないかと思った。(そのヘルパーさんは赤ちゃん扱いするような方じゃないですよ)

それと、事業所の常勤になったので孤独な感じもまぁまぁ解消された気がするけれど、けれど当事者の親がやっていて常勤は私しかいない特殊な事業所なので、寂しさはあるな…けど、完全に事業所の人たちと断絶されていたような時よりは大分いい。

自立生活支援というと、やっぱり30代以上ぐらいの人の支援が多くなるのだと思うけど、学齢期の子の介助も同時にあると断然辞めにくくなる気がします。かわいいし成長が気になる。

そして当然ながら休むのは大事。1対1の介助には万全の体調でいきたいものです。