ヘルパーつらいしきついけど嫌いじゃない

在宅の知的障害者の日々のヘルパーとして思うこと。

2014年6月号

 

 

 あと最近、Tクラブを辞めるにあたって自分側の反省をしてみました。ふと思いついた程度ですが。まずは、無理なものは無理と言うのが大事だなぁ。無理は続けられないので、結果的に休めないとしてもけっこう私無理してますってアピールするのって多分大事なんだな。この仕事は365日あるわけで、一事業所で働いているのならある程度休みの管理をしてくれるのかもしれないけど、複数の事業所で掛け持つ働き方だと自分でしっかり管理して無理なことは無理と言わなきゃですね、それが難しいんだけど。だけど人の話を聞いて、あぁそんな理由で仕事断っても別に良いんだなと最近思ったりしました。仕事依頼されて、空いてたらやらなきゃという感覚になってしまいがちですよね、この仕事。真っ当な用事がないと断りづらいというか。だけどそういうの別に良いんだなと開き直ったので最近しっかり断ることを覚えつつあります、もう新しい仕事はできません。

 それとも一つ。もっと積極的に同世代の人を見つけに行けば良かったのかなぁとも思います。これも難しいけど。けどこれも最近、西のお客さんたちが近い世代同士で楽しそうにしているのを見たり、他事業所の若い人と飲んだりして、こういうつながりをもっと自分から求めるべきだったのかなぁと思ったりしました。事務所でおじさんたちと話しているより絶対そっちの方が楽しいもーん。そんな感じで、何号にもわたって辞める理由書いた割に、自分側の反省はページ半分で終わってしまいました笑 他人に厳しく自分に甘く生きてます。

 

 本当に。今は一つの事業所がちゃんと週1、2日の休みが入るようにシフトを組んでくれるけど、いろんなところで働いてるとどんだけ働いてるかなんて分かんないもんね。非正規で働いているんだったら断れ断れ〜

2014年5月号

4月号の原稿が見つからなかったんですが、多分手書きで、「そんなわけで私Tクラブ辞めます!」って書いたやつだと思います。その続き…

 今月の通信でMさんが書いていることにはとっても共感しました(事前にブログで拝見しました)。「すごい」おじさんとおばさんはいるけれども、背中の見える先輩はいない。じゃあ私が先頭を切って、もっと働きやすい環境にするぞーとか、当事者がもっと暮らしやすくなるように話し合うぞー、とかやるかというと、そんなことはない。これは今忙しいから手が回らないとかではなく、きっと暇でもやらない。単純に、常日頃そんなことを話し合う人がいないからだ。実際に、「ちょっとこれどうなんだろうなぁ」と思うことがあっても、日常的に会わない目上のヘルパーに向かってメールや電話でそんなことを言う気概なんてさらさら無いのだよ、私には。

 Iさん(※Tクラブ代表)によく「ここでやりたいことないの?」と聞かれるけれど、「うーん、無い」といつも言っている。本当に無いし、考えようとする気持ちも湧いてこない。これはどうしたものかと自分でも思う。単純に私のやる気の無さとか想像力の欠如とか、そんな問題なのかもしれないけれど、Tクラブで何かを考えようとする時にはいつも、Mさんの言う「重さ」が付きまとっていたという気もする。『理念に、今までの実践に、背かないふるまいをしなければならないという意識。』確かにそれは知らず知らずのうちにおもりのように私にのしかかって、思考を縛ることもあったように思う。

 

 Mさんの原稿を読んでそんなことを考えていた次の日に、Tひろば(※Tクラブの事務所兼溜まり場)の掃除をしていて「は!これかっ!」と気づいた。

 Tひろばに来たことのある人ならお分かりだろうが、ひろばは汚い。本当に汚い。一応すいいち(水曜の午後、当事者その他が集まる場)前ぐらいはと思って水曜の朝は必ず掃除をしているけど、ちょっとやそっと掃除してきれいになるものではない、長年の染みついた汚れ。

 この汚れを目の前にすると「あー…」となる。もう私の手には負えぬ。壁のヤニ汚れは大掃除で拭いても限界があったし山のようにある資料は私が見ていいのかも分からないし、何が必要なのかも分からないし、手のつけようがない。

 すいいちに来る人からは、きれいすぎない方が良いとか、ちょっと汚いぐらいの方が落ち着くとか、そんな声も聞いたりする。私もその感覚はよく分かるし、多分私がすいいちに少しお邪魔するぐらいの人だったらそういう風な感想を抱いていたと思う、別にもともと綺麗好きというわけではないし。だけれども、週3そこで働くとなるとそうも言っていられない。できるだけ綺麗なところで仕事したい、と思って掃除にとりかかろうにもどこから手を付けていいのか分からない。表面的なところはできても、手を付けられない部分はずっと手を付けられないまま。

 先日Yさん(Tクラブスタッフ)に「介助とかしてて、絶望的な気分になることある?」と聞かれて、「いや~そこまでは^^;;」と答えたけど、そうだよ、ここを掃除してるとよく絶望的な気分になるよ。もうこの汚れたちは私にはどうしようも出来ないと実感する。

 こういうことなんだなと思った、長年の重さとは。汚れに例えてしまって失礼極まりないと思うし、長年の重さ=汚れだなんて思っていないけど、そういうことなんだ。積もり積もって積もりすぎて、私には崩すことができない。いっそリフォームすれば、引っ越しすれば、と思うけれどそんなこともできないし、それはまた違うんだろうなと思う。なんとなく表面をなぞってきれいにすることしかできない。

 私にとってTクラブで働くとはそんな感じなのです。日当たりの悪い汚い部屋(+タバコ臭い+冬はめちゃめちゃ寒い)に朝から向かって、手の付けようのない汚れを前にするとけっこう絶望的な気分になるのです。

 私はTクラブを辞めてから「なんか元気になったね!」と何度か言われたのですが、本当にあのころあの部屋にいると気持ちが塞ぎこんでいくような感じでした。

仕事場として通うんだから、ある程度の綺麗さは保って欲しいなぁと思う。思い返すと、あそこは「活動拠点」って感じだな。運動的な。

今は、当事者の親として昔から活動してきた人のところにいるので、Tクラブとはまた一味違った何かがある感じがします…けど、ヘルパーさんと話す機会がちょいちょいあるから良い。私が気になったことも他の人が気になったことも、ちゃんと解決に向かっていく感じがするのは良い。

 

2014年3月号

最後は、待遇とかそういうのについて。

つらいとか、つまらないとかもそろそろ書き納めですな。精神的なつらさ、仕事のつまんなさは前回までに散々書いたので最後に給料とか待遇とかの話を書こうかと。

 今の私の働き方はTクラブに週2~3行って、それで全部の給料の内半分ぐらい、残りの日は登録しているヘルパー事業所のヘルパーとして働いて残りの半分を稼ぐという感じです。ちなみに登録している事業所は3つ。少し特殊な働き方だけどちょっとだけ安定したフリーターという感じでしょうか。

 2年やってようやく分かりましたが、この働き方は続けられない。2年前は保険とか待遇とか大して考えて無かったし、給料もヘルパー分は時給で良いと思ってたし、別に給料上がらなくても大丈夫だと思ってたし、ボーナスもなくて大丈夫だと思ってた、のです。けど大丈夫じゃない。この辺りは私の認識が甘かったんですが。

 

これは続けられないなぁと気付いていった順番で

① 働いているのに給料が減ってしまう

 私がヘルパーとして働いている曜日に、Tクラブのイベントが入るとそっち優先になる→ヘルパー業出来ない=その分の給料減。

 という感じで、働いているのに給料がかわらないどころか、給料が減ってしまう・・・この働き方はおかしいかもしれないと気付く。

② どんなに働いても過労認定されない

 去年一番つらかった時は、時間数で見れば働きすぎだったようです(でも寝ている時間も入っているのでほんとに働き過ぎだったのかはよく分かんないのだけど)。その時にふと、知り合いに過労死認定の基準の話をされて気になって自分で調べてみたら、まぁまぁそのラインにいるなぁという感じだったのです。うわぁこういうのと照らし合わせるとけっこう働いてるなぁ、あれ?だけど、私1つの事業所の労働時間でみれば多くて月50~60時間だから過労で病気とかなってもどこも訴えられないし、どこからも何も出ないんじゃーん、ということを知る。

 

③上がらない給料

 最近確定申告をしようと思って、各事業所の源泉徴収を並べてみました。働いたこの1年分については働いた結果としてこんなもんかぁという感じなのですが。だけどこれから先も、働く時間数を増やさない限りずっとこんなもんなのか。これ以上年収増えないじゃん、と実感。

 

④時給で働くということ

①とも関連してきますが、時給で働いていると基本的に有給なんてない(時間数に応じて出してくれる事業所もあるけれども)。ほとんどは休む=給料が減る、というだけ。なので、旅行に行こうと思うと元の休みを合わせても2~3日は休むことになりその分そのまま給料が減る、もしくはその分他のところで働いて取り戻す、しかない。

 

⑤保険とか待遇とか

 私は働く前、この保険とか待遇とか、よく分からなくて全然気にしてなかったのですが。大事だなぁ・・・泣 雇用保険とか、上に書いた有給とか。私1つの事業所で週20時間働いてないのでそもそも雇用保険に入れないんだなぁって今調べて知りました。

 

 書いていて思ったけどこれは単にかけもちフリーターの悩みだなぁ。私フリーターなんだな、多少安定してるけど。

 だからやっぱりこの働き方は長くは続けられないのだろうな。今の私は前回書いたように似た様な内容の仕事が続く、なおかつ給料も上がらない、シフトも安定しないというところにもう耐えられない。私そろそろ安定した生活を送りたいのよ。

 先日の自立生活支援を考える会でも、「なぜ若い人が続かないのか」みたいな話が出ました。状況は人それぞれでしょうが私はこんな感じで続かなさそうです。

 そんなわけで、辞めるとなったらあっさり辞めちゃえると思うのですが、事業所によっては、後ろ髪引かれるだろうなぁというところもあります。それはなぜかと考えてみると、そういう事業所の人たちは、ヘルパーを大事にしてくれていて、なおかつそれを言葉や行動、そして待遇という面で示してくれている、または、今は出来ていなくてもこれから示そうとしてくれているのが伝わるからなんだと思います。

 私は自立生活支援を考える会などで「なぜ若い人が続かないのか」という話が出る度に、「ほんとに続けてほしいと思ってんのかよ、口だけでしょ」ぐらいは思っていました、すみません。最近はそこまでは思わないけど、それぐらい働く人には伝わってないんだと思います、多分。

 ちょっと話はそれてしまいましたが、仕事の目標とか結果が目に見えない分、給料とか待遇とか、そういうもの全部ひっくるめて「あなたが大事よ」感を出してもらえることが一番働きやすいし働きたいと思える気がします。

 

 私Tクラブを辞めたあと1年間フリーターしたんですが、まぁ大変だった。シフト調整するのとか。けど、この1年はフリーターすると決めてやったフリーターなので、自分で決めたことだし、そこまで辛くはなかった。

だけど、あの状態が来年も再来年も続くというのは、よっぽど他にやりたいことがないと(うちの事業所は自分の活動のためにフリーターを選んでる人が多くいます)、つらいよー。

まぁ今でも、給料が増えていったり退職金がもらえたりする展望は見えないけれど、それでも保険料を払ってもらっていたり、固定給でもらえたり、有給があったり、月に9日はお休みできたり、少しでもボーナスがあったりするだけで、本当ありがたい。

 

2014年2月号

介助は「つらい」だけでなく、「つまらない」仕事なのではないかという話。 

今度の自立生活支援を考える会でもつらさの話をするらしいので、つらいつらい言うのも飽きたけど「つらい」の話を。

 私のつらさの要素として

  ①労働環境の問題(過重労働、不規則な生活、低賃金 など)

  ②介助という仕事自体の特性(コミュニケーションの難、終わりの無さ先の見えなさ、過剰な1対1感 など)

 がありました。①からくる肉体的精神的な疲れから、②のつらい部分がより強調されてく、という感じだったので、とりあえず①の解決を試みて休み増やせと文句を言った結果、労働時間が減りました。みなさまありがとうございますm(__)m

 そんなわけで時間的にゆとりができて、精神的にも余裕ができました。

 すると、「あーもうつらい無理」という感情はだいぶ和らぎました。そりゃあ寝不足の時よりもちゃんと休んでいるときの方が誰だって穏やかな気持ちで仕事出来るよ、という単純な話ではあるのですが。休みは大事だ。

余裕ができて、何が一番直接的に「つらい」という気持ちにさせていたのか考えてみると、当事者にムカつく→ムカついて意地悪をする→こんなことで意地悪するなんて最低だ→こんな自分嫌いだ、という強烈な自己否定だったのかなと思います。で、結果こんなに自分が嫌いになるんだったら辞めた方がいいという感じ。

 時間的精神的ゆとりによって、この最初の「当事者にムカつく」の部分がだいぶ緩和される。 私にとってムカつくと面白いは紙一重で、なんというか、さじ加減次第なんだと思います。当事者と関わる中でたくさん出てくるコミュニケーションの「難」が、「ムカつく」にもなるし「面白さ」にもなる。一般社会から見るとツッコミどころ満載の当事者との付き合いは害にならなければ楽しいし、害になると、いやならなくてもムカつくものはムカつく。 

  というわけで、労働環境を改善したことでここら辺のさじ加減がけっこうおおらかになって、結果、自己否定的なつらさはゼロにはならないまでも以前と比べると解消されたのだと思います。

 で、自己否定のつらさが減って、面白みが増えたかというとそういうわけでもなくて(心穏やかになってそういう面もあるけれども)、何が残ったかというと、無力感、枠を埋めてる感、終わりの無さ先の見えなさ、当事者の変わらない日常...

 なんか、つまらない。

「つらい」の次は「つまんない」かよ、それもう私の人格の問題じゃんという気もするのですが、ヘルパーの離職率が高いということはきっとみんなつらいしつまんないんだよ!と思う、ことにする!

 ということで「つまらない」を考えてみる。

 ①当事者の日常はまあ変わらない(おでかけ、部屋で過ごす、作業所)

 ②介助者の仕事もまあ変わらない(おでかけ、家事、見守り)

 ③やったことが積み上がっていく感じがしない

 ④働いていて成長を感じられない

 ⑤そんな仕事自体のやりがいなんてうやむやに出来る職場の雰囲気、楽しい同僚的要素が皆無

①②については仕方ないというか。私が介助に入っている人は30代ぐらいの人が多いので、激動の思春期の中にいるわけでもなく、まぁ似た様な毎日が続くのは致し方ないというか。きっと健常者もそんなもんだし。で、当事者の毎日がそう変わらないということは、介助者の仕事もそう変わらなくて。もちろん外出先が特別だったり、当事者の様子次第で心の持ちよう接し方は変わってくるけど、仕事内容自体にそう大きな変化はない。

 そして③④。何よりもこれが問題だと思うのだけど、2年と少し、学生の時やっていたバイトも含めればこういう仕事を3年近くやっているわけなのだけれども、まぁ成長感の無いこと。実感出来るのは、多少家事スキルが身に付いたことと、いろんな人がいるんだなぁ、と若干心が広くなったんじゃないかということ、ぐらい。なーんか、何にも積み重なっている感じがしないのです。

 この、やりきりました、成長しました感の無さったら何なんだろうと考えてみると、おそらく 「出来る」ようになることを目指すのではない、というもろもろの障害者運動の根底みたいなものに起因する、気がする。

 この「出来る」ようになることを第一としない考えを否定するわけでも、まして当事者に対してこれこれが出来るように教えたいんですというわけでは決してないのですが。そして、実際には当事者は時間の中で何かが「出来る」ようになっていて、介助者はそれを発見するという面白みもあるとは思うのですが。

 だけど、私は明確に何かが出来るようなりたいんだよー。目標に向かって頑張りたいし、目に見える結果が欲しいし、その頑張ったことを誰かに認めてほしい。

 という欲求が満たされないんだよなぁ。決められたシフト通りに訪問して、担当の時間が無事に終われば良いだけで。当事者を指導するわけでもないし。ただそばで付き合って、自然とできるようになってるとこを見て、おぉ~と思うことぐらいしかないのさ。

出来るようになることを目指すのが貧しい考えだと言われようが、私はそういう価値観で生きていきたいのだよー。今まで私はそれが楽しかったし、何か積み重ねて目に見える結果が出るのがうれしかったのだし。この積み上がらなさ、成長感の得られなさ、つまらないんだなぁ。

 そして5。そんな私でも、仕事はやりがいが全て、ステップアップしていきたいです(*’▽’)キラキラ とか言いたいわけではなく。いわゆる単純作業の仕事でも、周りの人との関係で楽しかったりするんだろうなと思うのです、が。

 ヘルパーの仕事は基本的には一人で。現場に直行直帰で。その1日がどんなにつらくてもどんなに達成感があっても、それを共有してお酒を飲めない。交代の時に軽く話して、あとは一人で帰るだけ。一つの事業所でがっつり働いているならまだしも、複数で働いていると、登録している事業所の人でも滅多に会えないし、多くて週1回程度。しっかり仕事を見て教えてくれる先輩がついてくれるわけでもなければ、一緒に悩める同世代の人がいるわけでもなくて、後輩もいない。うわ、書いててめっちゃ悲しくなってきたじゃん!非常に孤独な状態に追いやられてる人は多いと思うのです、いくらヘルパー会議があったって、月1回しか会わないような人に本音なんて言わないし言えないよ。

 

 そんなわけで最近つまらないなぁと思う。あ、誤解されそうなので言っておくと毎回の仕事がいちいちつまらないということはなく、その時間自体は楽しかったりします。だけど長い目で考えると楽しくないし面白くないしなんのビジョンも持てないなぁと。

 うっかり長文を書いてしまいました。3ページ長いな...

 

 

最近は、中学生の介助に入っていて、これはとても楽しい。というのは、やっぱり成長期の成長はすごいというか、目に見える。目に見えてできることが増えたり、1年前より確実に大人になってるなぁ、とか、お話してくれることが増えたなぁとか、実感できてとても嬉しい。それにかわいい。

この「かわいい」って感覚も大切な気がする。私は年上の当事者に対して「かわいい」という感覚を持ったことは一度もないけど、もっと年上のヘルパーさんが「かわいいと思うわよ」と話していたのを聞いて、なんかそう思う心って大切なんじゃないかと思った。(そのヘルパーさんは赤ちゃん扱いするような方じゃないですよ)

それと、事業所の常勤になったので孤独な感じもまぁまぁ解消された気がするけれど、けれど当事者の親がやっていて常勤は私しかいない特殊な事業所なので、寂しさはあるな…けど、完全に事業所の人たちと断絶されていたような時よりは大分いい。

自立生活支援というと、やっぱり30代以上ぐらいの人の支援が多くなるのだと思うけど、学齢期の子の介助も同時にあると断然辞めにくくなる気がします。かわいいし成長が気になる。

そして当然ながら休むのは大事。1対1の介助には万全の体調でいきたいものです。

 

2013年12月号

自分で考えてしまう問題

〜今Tクラブでは空前の「介助ってつらいんじゃないか」ブームなので、ちょっとそれについてもう少し考えてみようかと、したんですがその前に。

●自分で考えてしまう問題

 先日飲み会の席で「たとえ近くに相談出来る人がいたとしても自分で考えこんでしまうタイプの人というのは一定数いてそれが何故なのか知りたい」というようなことを言われたので自分で考えこんでしまうタイプの一人として考えてみました。

 弱みを見せたくないプライドとか、有言不実行は嫌とか、もあるんだけど、多分一番強いのは「こんなことで人様の時間を奪ってはいけない」という意識。「相談」が苦手だ。私だってもやもやしている気持ちを人に話したくないわけではないし、むしろめっちゃ話したいと思う時もあるけれど「いやいや待て、こんなこと人に話してもしょうがないじゃないか」と考えて自制して結果誰にも話さずに一人で考えてしまう。そもそもこれってなんなのかなぁと考えてみたら、私にとって「個人的なことは個人的なこと」でしかないから、なんだなぁ。

 ちょうどその飲み会の場でフェミニズムの「個人的なことは政治的である」についての議論が交わされていたのですが、私は昔からそれがピンと来ない。そんな風にはなかなか考えられない。私の悩みは私の問題だから他人に話しても意味ない、私が解決しなきゃ、と思ってしまう。というのが理由の1つ。

 もう一つは介助関係の話を他人にしづらいということに限定しての話になりますが、介助の悩みはかなり自分の人格に関わってくるところのような気がして人には言いにくい。料理を気に入ってもらえないとか、家事が終わらないとか、そういうのはその人に付随する能力の部分の問題なので割と話せると思うのです、努力すればどうにかなりそうだし。が、利用者にキレて叩きそうだったとか、つらくあたってしまった、とかは、そう簡単には話せない。こういうのは個人の能力の問題ではなく、人格の問題だから、もうどうしようもないんじゃないかと思ってしまう。そしてこれを自分から話すというのも「私この程度のことでキレるんです」と言ってるようなもので、自分を良く見せたい私は言いたくない。

 という感じで話せないのですねぇ~。っていうのが自分で考えてしまう問題の答え!

 〜

 

やっぱり自分で考えるよね。

けど私は以前に比べると同業者に対してオープンになっているのではなかろうか。話しやすい人が多いからかな?

こういう人格が否定されるんじゃないかという話はやっぱなかなか権利を勝ち取るために頑張ってきた人たちには言えないよなぁ。

 

 

2013年11月号

さて、ようやく本題に入ってきました!

もう私の中ではほぼ解決を迎えたので書くんですが、実は今年の夏辺りから「来年・・・鹿児島帰ろうかなぁ」と思っていて。9月あたりでは95%ぐらいの気持ちで「よし、帰ろ」ってなってて、それからあーどうしよういつ言おうかなぁってのが2ヶ月ぐらいあって、10月末ぐらいにやっとそんな話をしました。

 まぁ、結論から言うと鹿児島帰んないし、辞めないんですけどね(・´з`・)

 

 私は95%ぐらいの確信がないと周りの人に相談(というか報告)しないんですけど、それぐらい気持ちは傾いていたので、既に仕事関係以外の人には来年帰るわ宣言をしていてなんだかもうなんだか恥ずかしい。(だけど多分「やっぱり」って反応しかされないんだろうな)

 

 東京に残ろうと思ったのはもうちょっと東京でやりたいことが出来たから、で、ある日それはストンと腑に落ちたのですが、その後すぐに、いやぁだけど今の調子で働くというのは無理だろうなぁと思い。

 

 というわけで私は思い悩むと平気で日記を4~5ページ書く気持ち悪いところがあるのでそれを読み返して激鬱だったこの1ヶ月を振り返ろうかと。

 

 仕事を辞めたい気にさせた要素を考えてみると

・自分がやったことが相手に響いているのか何なのか分からない無力感

・介助の枠をただ埋めてる感

・来年も同じ様な生活が続くんだろうな感(私も当事者も)

・長時間介助に入ってると「もう嫌だこんな自分は嫌だ」っていう自分が出て来るところ

・そんな嫌な気持ちになるんだったら別に私がやる必要ないじゃん感

・給料低いしなぁーこれからあがるわけでもないしなぁー

・とは言っても長時間の「見守り」とか特に何もやってないし。「こんなに頑張ってるのに」とか言えるほど頑張ってるってこともないし。

・はぁ、ただそこに居て空いた枠を埋めて安い対価をもらってるだけですよ私は

 

 という感じで、最終的に自分はなんて価値のない人間なんだっていう仕事アイデンティティの崩壊のような状態に陥り、今までの人生で一番の病み期でしたなぁ(´_ゝ`)

 なんとういうか、充実感、成長感が得られない。第3者から仕事を褒められても「別に私が当事者と二人でいるとこ見てるわけじゃないじゃん、私虐待してるかもしれないじゃん」と思うし、当事者本人から「あなたが良いわ」と感じることも出来ないし、感じたとしても疑うしそれは良くないことなんじゃないかと思うし。

 こうなると誰から何言われたってダメなパターンじゃーんノ☆

 

 という超卑屈モードで過ごしていたのですが、昨日「とりあえず休息を取ろう」と思っていろいろ調整を試みて、これだったらあまりシフトいじらずさらに給料もそんな下げずに週休2日に出来るんじゃないかという希望が見えて心が軽くなりました。きっと占い風にいえば大殺界から抜けた的な感じですよ、よく分かんないけど。

 多分根本的な解決にはなってないんだろうけど、やっぱり休みは大事だ。そんなわけでもうちょっとこの仕事を続けられそうです。

 

 

仕事を辞めたい気にさせた要素解消されてなーいなー。

まぁだから、常に辞めてしまいたい気持ちとは隣り合わせですなー。

でも、この頃この要素一つ一つをMAXレベルで感じていたとすると、今はそのレベルは下がる時もある、上がる時もある。あの頃は多分常にMAXで嫌だった。

読み返して思うのは、やっぱ給料上がる展望がないことと、来年も変わらぬ暮らしなんだろうなぁと思ってしまうところが残念。

 

2013年9月号

 

 

〜ガイヘルで3泊4日の北海道旅行に行って参りました!

実は同じ当事者と去年も同じぐらいの時期に旅行をしていて、今回私はガイヘル開始数時間である変化に気付いたのです。

 それは、

私の態度が横柄になっているっ!!

明らかに去年の私よりもくつろいでいるというかくつろぎすぎているというか緊張感をなくしているというか。

 この1年の中でその当事者と出かける機会もあったのでお互い(一方的に?)打ち解けた感はなきにしもあらずなのですが、それにしても。それにしても去年に比べるとなんだか私横柄じゃないか!

 寝台列車に乗って、本当に仕事中かよとつっこみたくなるぐらいくつろいでる自分に気づき、一人でうわーっとなり、でもだからといって緊張感を取り戻すこともできず、てゆうか緊張感が必要なのかも分からず、

「この1年、良くも悪くも仕事に慣れたのかなぁ…」と遠い目をしてました(-_-)

 まぁ向こうに着いたら着いたで私お得意の段取りやさんを発揮してしまったのですがね。けどこっちは少し前より緩和された気がする。これはどちらかというといい方向に気を抜けてたのかなぁと思う。

 気を張りすぎては自分も相手も疲れるし、だからといって気を抜きすぎても良くないし、いやはや、微妙なさじ加減が難しい仕事でありますな。

 まぁ自覚しちゃうぐらい気を抜いていても3泊4日の仕事というのは相当疲れたのでありますが。お疲れ自分。

 そんな感じで最近は安定して仕事をしています。何曜日は誰のヘルパー、何曜日はたこの木。あー今日もこの人は泣いたなぁ、怒ったなぁ、つらいなぁ、今日は機嫌よかったなぁ、笑顔多かったなぁ、楽だったなぁ、良かったなぁ。

 そんな風に、ルーティンワークのように仕事をこなす中で、

 人はなぜ怒りのゾーンに入ってしまうとなかなか抜け出せないのか。

 人の涙を見るとどうしてこうも胸がズキズキするのか。

 ヴュジュアルの問題、生理的に受け付けないという問題はどうすればいいのか。

 なんてことをぼんやり考えたりします。

 前にテレビでマツコ・デラックスが、女って怒るとヒステリーになってる自分に絶対酔ってるという話をしてたのですがまさにそれをよく感じます、自分も相手の当事者も。

 それと人の涙。ある当事者は多分私に非がある時も無い時も泣いてるのですが、何度泣かれてもものすごく精神的に追いつめられる感じがするのですよねぇ~涙の威力はすごいんだなと思います。

 そしてこの女子にありがちな「顔が無理、生理的に受け付けない」って気持ちはどうしたら乗り越えられるというか、なくなるのかなぁと。

 レベル低いなぁ~菩薩になーりたーいなぁ~と思うこのごろです。

 

なんか、怒りのゾーンから抜け出すってのはうまくなった気がする!!というかそんなゾーンに入らなくなったな。一瞬の舌打ちで済ませられるような(いや舌打ちはしないけれども)。切り替えられるようになったのかな。これは慣れだなー。

あとは、向こうの怒りにも巻き込まれなくなった気がする!うわー怒ってるーと思いつつ、ひょいひょい逃げられるようになった気が。まぁこれは良いことか悪いことかわかんないけど。